明るいシステム倶楽部-雑記帳-33

110412-kawamoto

仏教雑学講座

【仏教雑学講座】次回の案内

日 時 2012年2月14日(火)18:00-
場 所 明るいシステム倶楽部の事務所
会 費 ¥500(別途 軽食代¥1,000)
大阪市中央区南本町4-5-7 東亜ビル12F  ◆ 地図は
TEL  06-6243-7123

河本雪夫(かわもと・ゆきお)さん
(明るいシステム倶楽部会員)
「風の会」の代表。友遊会世話役。人生を豊かに生きるための活動いろいろ。
【仏教雑学講座】は、河本雪夫さんのボランティア講座、毎月1回(夜)開催。

河本さんの明るい解説に、私も気楽に参加させて頂いている。
解説の後の雑談も楽しい。
その時の講座ノートを抜粋します。(芦田)

講座ノート抜粋  2012/01/17

親鸞と歎異抄

◎歎異抄の著者、唯円
・・・・・・・唯円の秘話など
◎親鸞は何が言いたかったのか
   【1】信仰は悟り澄ますことではない
   【2】念仏によって得られる幸福
   【3】他力とは向こう側からやって来る力
    「自力で悟れぬもの、と悟りたり」と書き残している。

◎河本講師の語録
・・この世はままならないことだらけ、 ままならないことを自分の力でままならそうとするから四苦八苦するのです 。
・・弥陀は無料無辺 人間の小さな心でどうにかなるような小さなものであるはずがありません。
・・ヨットは風が吹かなければ動くことが出来ません。でもいつか風は吹きます。その風を待つ、くじけない信念が他力の働きです。

講座ノート抜粋  2011/12/13

親鸞の「白い闇」、自力と他力の境界

幸せな人生を過ごそうと思う。努力する。しかしいくら苦しんで努力しても努力しても報われないことがある。 この時人は何を考え、どう行動するのか? 1.自力と他力
2.親鸞の他力
3.自力と他力の融合
4.歎異抄の他力
5.親鸞の略歴と時代背景
歎異抄の【善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人ををや】 など、難しテーマを楽しく解説して頂きました。

講座ノート抜粋  2011/11/09

平安仏教とマンダラについて

1.日本の古代宗教について
2.奈良時代の仏教
3.平安仏教・密教とマンダラについて
4.真言密教はなぜ密教なのか
5.マンダラとは
と項目だけ羅列するとこ難しいようだが、講義内容は、平易で楽しい。
空海のすごい!活躍を知ることが出来た。
◎痛狂は酔わざるを笑い 酷睡は覚者を嘲る
◎心暗きときは すなわち遇うところ ことごとく禍なり 眼明かなれば 途にふれて皆宝なり

講座ノート抜粋  2011/10/13

良寛さんから学ぶこと

◆はじめにー

 良寛さんといえば子供と鞠つきをしたり、かくれんぼして日暮れまで遊び、村の人たちには愛され、親しまれてきたという印象が非常に強いが、これは明治の小説家相馬御風の 影響によるものです

 NHKの大河ドラマの宮本武蔵も吉川英治と徳川無声によって作られた人物像が一人歩きしているのとよく似た点がある 良寛がどうして今の大愚良寛になったのかということは興味あることです

 軽いイメージでしか理解できていなかった人物像が少しでもユニークな宗教家に近づければと思います

◆1.良寛さんはどんな人

 托鉢で身を立て、子供にせがまれれば日暮れまで鞠遊び。一方では漢詩 和歌 書に名作を残します。

 町名主という名家に生まれながら突然出家し托鉢で身を立て、70歳になって40歳も年齢差のある尼さんに恋をして あるがままに生きあるがままに死んだ というのが共通的に伝えられているところです。

* 良寛は江戸末期 田沼意次の時代 権力が腐敗し賄賂が横行していた1758年生まれ。18歳で出家 22歳で禅僧の師に出会う 岡山 玉島 円通寺の住職大忍国仙和尚である。弟子を厳しく鍛えることで知られた禅僧 ここでの修行の様子はあまり記録に残っていないが 12年間厳しい国仙について修行をし、禅僧として卒業証書である「印可状」を授かる その時大愚良寛の号を与えられた 34歳で諸国行脚の旅に出る お寺も持たず托鉢で暮らす行雲流水の旅であった  行脚の旅の記録はほとんど残されておらず足跡は不明な点が多い。 今残る良寛像は断片的に集められた資料をつなぎ合わせたものである。

禅僧としてー 
 良寛は日本曹洞宗の開祖道元に深く傾倒し、円通寺では黙々と禅の修業に専念した 国仙和尚が印可を与えたことがその事をよく物語っている。 「仏も元は凡夫なり」-六波羅密行によって菩薩となるというのが道元禅の根底にある。 道元禅は只管打座 ただ座禅せよ 悟りを目的としてはならない  「ただ身心を放ち忘れ、仏の家に投げ入れて、仏の方から働きかけられたことに 随って行くとき、力を入れず、心も費やさず <生死>を離れて仏となる」と説いている 。一般に禅は自力宗と言われているが、道元禅はそれを超えた 自他不二 の教えである。

良寛は道元禅の心を次の和歌で示している。

「あしひきの岩間をつたう苔水の かすかにわれは澄みわたるかも」

印可を授かったから大愚良寛が生まれたのではない。12年間も人知れず乞食行 に励んだ結果であるが、その間の修行の様子は自分では何も語っていない 残されている詩歌や書で想像するのみである。 残された書の中に次のような言葉がある。

「君看よ 双眼の色 語らざるは 憂い無きに 似たり」

ここから伝わってくるのは、手まりをしたり、かくれんぼしている良寛と違う一面が 見られる。

*美しき余韻―良寛さんの晩年

 良寛さんは奇行に富んだ逸話から、風変わりな禅僧のように思われていますが、前にも 触れたように、厳しい修行の期間が誰にも見えていないので、そう見えるだけです 38歳の時、生まれ故郷の越後出雲崎に戻り、46歳で国上山の中腹に“五合庵”と言う草庵を作って住みつきました。
  69歳で山を下り後援者の庵に移り5年後の1831年1月74歳で生涯を閉じた 其の一生は小欲知足 “雪月花”を賞で、子供と遊び、詩歌を作り、座禅を組み、読書 書道に明け暮れる毎日でした。が・・・・ 晩年70歳の時、和歌の教えを乞いにきた、30歳の若くて美しい尼僧、貞心尼と出会い 二人の愛の歌のやりとりが始まる。

夢の世に かつまどろみて  夢をまた  語るも夢も それがまにまに

またもこよ しばしのいほりを  いとはずば すすきおばなの つゆをわけわけ

あぎはなの はなさくころは  来て見ませ いのちまたくば ともにかざさん

心さえ 代わりざりせば  這う蔦の 絶えずむかはむ 千代も八千代も

いついつと まちにし人は 来たりけり 今は相見て なにか思わん

良寛さんの晩年が、心から癒される人と巡り合い、ハッピーな生涯を終えたと思えることは、良寛フアンとしては喜ばしい限りです。

◆2.良寛語録

⑴ キイワード   
 ・只管打座  ・托鉢行脚  ・一所不住  ・小欲知足   ・生涯修行  ・天上大風 ・自他不二

⑵ ことば
 ・ すべてのことばは惜しみ惜しみ言うべし
 ・ 我 講経の人を見るに 雄弁流水の如し
 ・ たとえ恒沙の書を読むとも 一句を持するに如かず    (論語読みの論語知らず)
  ・ 好んで愛語すべし、怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること、愛語を根本とするなり
 ・ 死ぬ時節には死ぬがよく候
 ・ 道う莫れ草庵無一物と 満窓の涼気君に分与えん

⑶ 戒語

 ことばおおき 話の長き 講釈の長き 
 くちのはやき かしましくものいふ      
 とはずがたり さしでぐち 物言いのくどき 
 ひょうり(表裏)ぐち       
 酔うてことわりをいふ 人のかくすことをあからさまにいふ
 返らぬことをいくたびもいふ 人の言葉を聞き取らずしてものをいふ
 こころにもなきことを言う  人の嫌がることを言う
 自慢話       腹立ちながらことわりを言う
 推し量りのことを真実になして言う 物知り顔に言う 老人のくどき
 好んで唐ことばを使う 悟り臭き話 くれると言うてくれぬ  
 言い足らぬことは又つぎても言うべし
 言うたことは再び返らず、ことばの過ぐるは愛想なし

 このような戒めを全部守れと言われても、無理ですがそのいくつかでも出来るように なると それを段々と増やせると、人間が豊かになるかもしれません。

これは自戒の言葉なので 人の欠点をあげつらう為のものではありません。
 

⑷ 詩歌

・ 世の中に 交じらぬとにはあらねども ひとり遊びぞ我はまされり
・ 鉢の子に 菫たんぽぽこきまぜて 三世の仏に奉りてん
・ この里に 手毬つきつつ子供らと 遊ぶ春日は暮れずともよし
・ 風は清し月はさやけし いざ共に踊り明さむ老いの名残りに
・ 霞み立つ 長き春日を子供らと手毬つきつつ 今日も暮らしつ
・ 焚くほどは 風がもち来る 落ち葉かな
・ 裏を見せ 表を見せて 散るもみじ

◆3. 改めて良寛とは

 大愚の「愚」を最初に強調したのは平安時代の初め比叡山に篭って天台宗を開いた伝教大師最澄である。 彼は山篭りにあたって「願文」をかいた 其の中で自分は愚の中の愚 狂の中の狂 という厳しい自己批判から出発している 。小愚というのは智に溺れることであり この小さな我を捨てたところに、はじめて大愚の人となる と言う意味がこめられている。

春は花夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて凉しかりけり   道元禅師

 この歌は川端康成がノーベル賞受賞記念講演で冒頭で引用したことで有名です。 良寛はこの歌を下敷きにして次の歌を作るほど道元が好きで尊敬していた。 現代でも最も難解な仏教書であり哲学書と言われている「正法眼蔵」を愛読していたことを見ても良寛の仏教者としての深さが改めて感じられるように思います。

形見とて何か残さむ  春は花山ほととぎす秋はもみじ葉  良寛

 最晩年の良寛さんには 恋も死も世間の思惑もすべては一つ 自他不二であった。 1831年正月6日貞心尼や弟の由之などに看取られて大愚良寛は有力な後援者であった木村家の庵で座ったまま眠るように息を引き取ったと言われている。 一説には貞心尼の膝枕で成仏したとも。                                  合掌

講座ノート抜粋  2011/7/12

唯識論は何を教えているか

「慙愧に堪えない」と気軽に言うのをききますが。気楽な言葉ではなさそうです。
慙愧の心のない人は、全ては自分中心で世の中は動いていると思っている。
この世は変わらず(常)・楽を求め・誰にも世話に成らず生きている(我)・自分は煩悩に汚されていない(浄)と錯覚している。 
なぜ人はこんな錯覚をするのかを唯識論は細かく分析してくれている。
六識・・・眼・耳・鼻・舌・身・意
マナ識・・・
アーラヤ識・・・
煩悩の分析
意識の中にある6っの基本煩悩・・貪り、怒り、愚痴、慢、疑、悪見
マナ識の中にある4っの基本煩悩・・
煩悩を絶ち、菩薩の心に近づくための修業が六波羅密
模式図を描いての解説頂いたけれど・・・・難しくて 上手くノートがとれませんでした。 

講座ノート抜粋  2011/4/12

仏教(宗教)は何のためにあるか

仏教は自他を救うために吾々のような凡夫(凡人)に安らぎを与えるためのものです。このことを理解しておけば仏教はそんなに難解なものでもないように思います。
◎想定外のまさかは起こりうること
仏教の考え方の中心は「この世は諸行無常であり、人生は苦(四苦八苦)である。
生あるものは必ず死に帰し、盛んなるものは必ず衰える習いあり」ということで、人生のあるべきすがた 真理として教えられています。
また「人生には上り坂 下り坂 まさか という坂がある」といわれています。
普段の我々の予想を超えた「想定外のまさか」は起こりうることです。 仏教ではこのことを因縁という言葉 つまり無始以来の因と縁が熟せば起こりうることだから油断せず、怠り無く日々過ごしなさいというのがさきほどの言葉です。
この度の3月11日の東日本大震災から学んだことは、確実なことは何も無いということです。  
本当にいつ死ぬかしれんな~、いつ死んでもいいようにしとかんなあかんな~、というのが震災の犠牲者が教えてくれた人生観であるように思います。
◎通らずにはいられない苦しみをどうしたら乗り越えることが出来るかを考えるためのヒント
禅寺でよく見かける言葉「生死事大 無常迅速」
親鸞聖人「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
蓮如 「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」
一休さん「正月は 冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」
仏教は突き詰めれば「四苦八苦」つまり人が生きるうえで通らずにはいられない苦しみをどうしたら乗り越えることが出来るかを考えるためのヒントを与えてくれるものです。
死を向こうにおいて今を考えるのが仏教といえるかもしれません。
言葉の暗さを避けて明るさだけを求めても本当の救いは得られないのが現実です。
お釈迦さんは何事も極端には走らず 、中道 を説いています。
暗さと明るさのバランスが大切で、仏教が説く生活の智慧のような気がします 。 

さあ夢を語ろう

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